太平洋資源開発研究所 〔主な発見歴02〕

   

 

「定説覆し屋〔中日新聞評〕」の記録

伊豆七島新島沖の海底(水深百数十m)に、1億年前に生存していた《生きた化石》オキナエビスガイ多数棲息していることを発見。学会の定説を覆す(1954)

                                

 

世界で初めて、最高品質の真珠を生産する大型真珠貝マベガイ人工授精に成功。業界では断念していたマベ真珠養殖実現の礎を築く(1955)

 

フィリピン南部(北緯10度)が北限の熱帯系大型真珠貝シロチョウガイが、わが国(奄美大島大島海峡)にも棲息していることを確認、世界の定説を覆す(1955)

  日本産「シロチョウガイ」標本。おそらくフィリピン貝の《幼生》が海流で運ばれ、奄美大島海域に定着したものと思われる

 

北海道東部釧路の海底で、初めてスキューバ潜水を実施、大型のエゾバフンウニ群生していることを発見。地元漁協の産業振興に貢献する(1955)

 

奄美大島南部大島海峡のサンゴ礁に、熱帯系大型ヒトデの一種「オニヒトデが爆発的に発生し、造礁サンゴ類を食害していることを確認。日本で初の駆除を行い、天敵ホラガイであることを発表(1956)

 

奄美大島で未知の真珠貝を発見。オーストラリアの真珠貝専門家との共同研究により、同国産「アルビナ・サジラータ」の近縁種と判明。和名モスソアコヤガイが誕生する(1957)

                      

 

三重県鳥羽沖で採集したアワビの殻に、穿孔寄生する珍しい二枚貝を発見。この方面の専門家波部忠重博士により、極めて稀なモモガイ」の《変種》と判明(1958)

 

三重県南部、熊野灘に面した阿曽浦で、奄美大島が北限の亜熱帯性巻貝オキナワイシダタミガイを発見、その後の亜熱帯性サンゴ礁生物発見の端緒となる(1958)

四国最西端の孤島沖ノ島潜水調査で、造礁サンゴ類を食い荒らすオニヒトデを発見。本土初の分布記録となり、生物地理学者を驚かす(1959)

 

 

 

紀伊半島先端の潮岬の潜水調査で、再び“海のハブ”と恐れられるオニヒトデを発見、本州にも分布することを確認(1960)

 

沖縄県久米島の潜水調査で、フィリピン以南に棲息する熱帯系二枚貝クラマドガイの殻を発見。過去に日本にも分布していたことを確認(1961)

 

沖縄県久米島の潜水調査で、それまで、北は房総、南は鹿児島までの《日本特産種》とされていた養殖真珠の母貝アコヤガイは、亜熱帯海域にも分布することを確認(1961)。これに関連し、香港で「日本真珠」のニセモノが売られているという情報は、香港産の「アコヤガイ」で中国人業者が養殖したホンモノの「アコヤ真珠」であると確信。水産庁の担当者や真珠業界の幹部たちに、将来に対する対応策を立てるよう進言したが、一笑に付され取り上げられなかった。業界トップの御木本真珠は「そんな話はまだ聞いていない。もしそれが本当なら業界にも影響は大きいから善後策を立てなくてはならない」と言ったそうだが・・・。因みに、今日の「アコヤ真珠」の大半は、中国で生産された「非日本産養殖真珠」である!

 

熊野灘二木島湾で、日本初の海中観光資源調査を実施。熱帯系の軟体サンゴウミキノコ類の群生を本土で初めて発見。日本の海中公園歴史を拓く(1963)

日イ合同海洋学術調査「バルーナ探検」で、ジャワ海に海底油田を発見、今日のインドネシア石油産業の基礎をなす。オランダ時代の海図を元に、サンゴ礁の発達を調査。スンバワ島ビマ湾で良質の真珠貝マベガイ資源を発見。モルッカ州カイ諸島では、タヒチ系の良質の大型真珠貝クロチョウガイを発見。真珠事業が同海域で有望であることを報告。コモド島では、世界最大のトカゲコモドオオトカゲの生態撮影に成功、日本初のカラー放送記念番組として放映紹介する。イリアンジャヤ島南部のアラフラ海はエビ資源が豊富であることなど、多大の成果を収める(1964)

    

   日本初の「コモドオオトカゲ」撮影に成功!                     探検の成果を、海軍大臣マルタディナータ中将に説明する

インドネシア海域でアコヤガイを多数採集した結果を踏まえ、「アコヤガイ」はもはや日本の《特産種》でないことを正式に学界に発表。日本以外の国でも「アコヤガイ」を利用して真珠養殖が行われていることを警告する(1965)

 

 ワシントンの「国立自然史博物館」で世界の真珠貝標本を調査中⇒

 

セイロン島(スリランカ)の調査で、従来ピンクターダ・ブルガリスとされてきた真珠貝は、日本のアコヤガイ(ピンクターダ・フカータ)と同種と判明。古来、ヨーロッパの王侯貴族たちに珍重されたセイロン島産の「オリエンタル=パール」は、日本の養殖真珠と本質は同じと断定する(1967)

   「セイロン国立水産研究所」に保存された真珠貝は、「アコヤガイ」と同種

 

戦後初のミクロネシア(南洋群島)海域海中調査で、ポナペ島のサンゴ礁海域に棲息する大型真珠貝クロチョウガイの品質は最高で、良質の《黒真珠》の生産が見込まれると発表(1968)

 

ポナペ島東南海上に建設された、謎に包まれた呪いの石造遺跡ナン=マタールの解明を行う(1972)

                       

 細長い《柱状玄武岩》を積み上げて造られた「ナンドワス(王の神殿)」               「ナンマタール」の口伝の伝承者マサオ=ハドレー氏から聞き取り調査中

 

パプア=ニューギニア探検で、ニューブリテン島北部のラバウル付近では、今もなお、貝で作った貝貨(タンブー)を使用していることを発見、その原料貝は日本には未知の《種》であることからカヘイカニノテムシロガイと命名発表(1972)

  ラバウルの市場で食品の売買に使用される「タンブー(貝貨)」

 

ラバウルの秘密結社「イニヨット」が密かに保有する、人の生死を操る《呪術》のシンボルイニヨット石像を発見入手。日本時代、邪教として秘密結社を撲滅するため、恐るべき「イニヨット」は没収処分された筈だが、島民の証言によれば、大部分はラバウル湾に沈んだが、大切なものはヤシ林などに埋めて温存された。欧米の博物館や研究者たちは、この「イニヨット」探しに熱中するが、秘密結社の結束は固く発見は極めて困難である。専門家の話では、これは世界最高クラスの「原始美術品」として高価に取引されるという(1972)

 

                                        この「石像」を削った白い粉をかけると、人は死ぬと言うが・・・・・

 

  

 

高知県沖ノ島の「海中公園」候補地学術調査時、水深3mの岩礁に付着する《芋虫》状の奇妙な生物を発見、この方面の権威、京都大学理学部内海富士夫教授の鑑定により、熱帯に棲息するスナギンチャクの一種カワギンチャクで、わが国初の記録と判明した1972)

                      

 ニューブリテン島中部、ウィルメッツ半島先端部にあるダカタウア湖に棲むという、謎の怪獣ミゴーの調査実施。確認出来なかったが、住民によれば、怪獣は2種類で、トカゲ形のミゴー全長10mくらい、丸々と肥えたジュゴン形のルイ全長5,6mで、共に湖の底に潜み、満月の夜など時々陸に上がり野豚や鳥・水草などを食べるという(1972)

     この湖に「ミゴー」は棲むという     

石垣島は世界最高の造礁サンゴ類の宝庫であることを証明。潜水調査で68属220種を記録したが、この中に 《新種》が12種も含まれていた。これは  造礁サンゴ類の世界的権威、東北大学名誉教授江口元起博士との共同研究による(1975)

  サンゴの同定は江口博士と共同で行う

 

沖縄本島南部の海から、それまで正体不明の《幻の生物》とされていた軟体サンゴの一種を発見。この方面の権威、京都大学教授内海富士夫博士により、外国で発表されたパラスポンゴデス・ヤポニカと同定、和名ヤマトウミツゲと命名された。つまり、日本産でありながら《実物標本》は日本に存在しなかったが、この発見により初めて実体を見ることが可能となった1975)

             

 

英・仏両国が統治するニューヘブリデス諸島(現、バヌアツ共和国)調査時、古文献に記載される、マレクラ島の食人種「スモール=ナンバス族」頭蓋骨を燻して作る不気味な先祖像ランバ=ランブを入手した。これは、世界の美術館や博物館が垂涎の的とする超一級の原始美術品で、勿論、日本では初めてのシロモノである1975)

 

 

 

 

沖縄本島南部の海中から採集した、下等な姿をした《高等動物》ホヤ類の中から《新種》が発見された。ホヤ類の世界的権威、京都大学教授時岡隆博士の研究により、イチゴボヤ」「ワモンクラベラと命名された1976)

       (左)イチゴボヤ (右)ワモンクラベラ

    

島根県大社町にある「島根半島海中公園」の追跡調査時、水深15mの海中洞窟の天井部分で奇妙な「ホヤ」を発見採集した。この方面の権威、時岡隆博士の研究により、1955年、水産庁の海洋調査船が、東シナ海水深200mの大陸棚上からドレッジで採集した、世界でただ1個しか存在しない極めて珍しい「ボウズボヤ」の新種シンティアゾナ・チネンシスと判明、和名は白井に献名されシライボヤと発表された。因みに、この標本は研究所に保存されるが、島根県下で植樹祭が開催された折、県の要望で昭和天皇に上覧、興味を示されたことから標本の半分を陛下に献上した(1976)

                       

「島根半島海中公園」調査時、造礁サンゴ類8を発見、日本海には造礁サンゴ類は繁殖出来ないという定説を覆すアミメサンゴアワサンゴの群体は、直径1m以上にも成長し、長年にわたり生存し続けていることを裏付けた(1976)

 

 石垣島北部の桴海おもと岳麓にある鍾乳洞の中から、化石化した人骨を発見した。人類学の権威、東京大学名誉教授鈴木尚博士に鑑定を仰いだ結果、「科学的な鑑定はしていないが、送られた人骨を見る限り、那覇市山下町、具志川村港川遺跡から発見された化石人(1万8千年と3万2千年前)と類似しており、低身長の人類で、恐らくそれらと同じ化石人類とみて間違いないだろう」との返事を得た。「八重山では初めて《洪積世》の化石人発見」と大きな見出しで報道され話題を集めた(1977)

       

 

カリブ海一周調査時、ベネズエラ北部のマルガリータ島で真珠貝を調査、名前の通り、この島はコロンブスが発見する以前から《天然真珠》の産地として知られ、インディオたちが採取してきた。海岸に山と積まれた真珠貝の殻は、外洋性のため形や色合いは日本の「アコヤガイ」とは多少感じは異なるものの、《種》の特徴は変わらず、同種と断定した。すなわち、日本特産と言われてきたアコヤガイはインド太平洋にとどまらず、大西洋にまで分布する広分布種であることが判明した1978)

                           マルガリータ島で真珠貝を調査中 

仏領ポリネシア政府の依頼で、政府保管の養殖黒真珠」の評価・鑑定を行った。結果、適正なる処分まで依頼され、日本へ輸入することになった。これは、海外におけるその後の黒真珠養殖興隆の《火種》となった。事実、この当時、白井所長が鑑定した黒真珠による《粒揃い》の首飾り2連は、ニューヨークの「ティファニー」で、あっという間に評価通り億円で売却されたことからも、いかに黒真珠が稀少で価値があったかを伺い知ることが出来る(1978)

 

                                  最高品質のタヒチ産養殖黒真珠で作られた首飾りを評価する⇒

 

石垣島北部米原で、およそ100万年前島が海中に沈下した際に出来たヤエヤマヤシ化石林を発見した。これは、海中に堆積して出来た「有孔虫石灰岩(粟石)」の中に丸い層状で存在し、肝心のヤシ本体は腐ってなくなり、型のみ残るいわゆる《化石痕》で、その数は50本程。ヤエヤマヤシは1属1種の貴重なヤシで、石垣島米原と西表島に2ヶ所しか見られぬず、いずれも国の《天然記念物》に指定されている(1978)

                     

沖縄本島北部に付属する伊江島からの通報で、珍しい貝が上がったから鑑定して欲しいと要望され、本土から駆け付けた。予想した通り、その貝は《世界最高の貝》として白井所長が折紙つけたリュウグウオキナエビスガイであった。1967年、台湾から持ち帰られた世界で2個目の「リュウグウオキナエビスガイ」の売却を依頼されたが、100万円の指値があれよあれよと言う間に360万円(1万ドル)に跳ね上がり、鳥羽水族館に収まった。今回の貝は、まさしく日本の海から採集されたもので、その後もかなりの数が生きて上がり、売買価格も大幅に下落してしまった。因みに、伊江島の貝は日本では2個目だが、1号貝は戦災で失われたので、日本初の現存貝であった。世界では、オランダに1個、鳥羽にある台湾上がりが2個目、そして伊江島産が3個目という稀少さで話題をさらった(1978)

         360万円で売買された世界最高の「リュウグウオキナエビスガイ

 

メキシコ政府依頼の「バハ=カリフォルニア」における真珠貝資源調査で、百年ほど前まで採取されてきた紫真珠の母貝は、真珠層が美しい「マベガイ」の近縁種であることが判明した。世界中で海から採集されてきた《天然真珠》の母貝は総て「アコヤガイ」で、稀に「クロチョウガイ」や「シロチョウガイ」もあるが、数的には圧倒的に「アコヤガイ」が多い。ところが、1969年、ロスアンジェルスで偶々見付けた「マベ型」の真珠貝の殻は、バハ=カリフォルニアに分布していたことがこの折の潜水調査で判明、「マヤ・アステカ時代」から珍重された《幻の紫真珠の正体は確定した。すなわちレインボーベガイと命名した、別系統の真珠貝が生みの親であった。

                               

 メキシコの天然真珠を生み出すもう一つの母貝はピンクターダ・マサトラニカと呼ばれる、やや大型の真珠貝で、和名はパナマチョウガイという。この貝は「シロチョウガイ」と「クロチョウガイ」の中間の形質を示す珍しい真珠貝で、スモーキーな真珠を生み出すことが予想される。残念ながら調査結果は、資源不足で、母貝の人工増殖が先決となった(1979)

 

石垣島米原のサンゴ礁からまた《新種》が発見された。これまで全く見られなかった触手がブドウの房状に分岐するもので、和名をハナブサツツマルハナサンゴと命名した1979)

       

 西表島と小浜島の間のヨナラ水道で「ヤギ類」調査時、偶々発見した「ヒドロサンゴ」の一種は、この方面の権威江口元起博士の鑑定で、戦前、ミクロネシアのマーシャル群島とカロリン諸島で採集されたナンヨウギサンゴと同じもので本土では初発見。当時標本は、この分野を研究対象とされた昭和天皇に献上されたという、曰く付きの珍しいサンゴであった1981)

                                                 

 《制癌物質》が含まれるということから、にわかに注目されるようになった軟体サンゴ類ヤギ類の世界的権威「スミソニアン研究所」のベイヤー教授の要望で、日本産のヤギ類の集成を始めた。熊野灘や琉球列島各地でかなりの標本を採集し送ったが、肝心の博士が老齢且つ病気のためこのプロジェクトは中断、日の目を見ていない。大部分のサンプルは《新種》だと、電子顕微鏡による《骨片》調査で判明し、博士は喜色満面だったのが惜しまれる1981)

      「スミソニアン研究所・自然史博物館」にてベイヤー博士と

 

宮古島調査時、与那覇湾で《フグ毒》をもつツムギハゼ多数棲息することを発見、毒生物の第一人者、東北大学農学部の安本健教授にサンプルを送り毒性検査を依頼した結果、「テトロドトキシン」をかなり含有していることが確認、食用は避けるべきと警告した1982) 

西表島取材時、東部仲間川上流のジャングルの上に突出する巨大なサキシマスオウノキを発見。樹高約20m板根の高さ3.9m、胸高周囲3.5m、縦横に伸びた板根の総面積は126.5㎡畳にして約77畳敷に匹敵する。《板根》は1cm伸びるのに10年かかるといわれていることから、樹齢は約400年と推定した。沖縄の植物研究家、天野鉄夫県緑化推進委員会委員長は、過去沖縄では確認されていない《驚異的な老木》だと折り紙を付け「天然記念物」指定の必要性を強調した(1982)

        日本最大の「サキシマスオウノキ」を見る俳優の近藤正臣氏

 

琉球列島最南端の波照間島西方の海で、漁業者が夜間潜水漁中に、水深30mのサンゴ礁のくぼみに潜んでいた「タカラガイ」の一種を採集、鑑定を依頼された。それは、殻長9.5cmもある見事なナンヨウダカラガイで、日本での初記録であった(1983)

                                                 

造礁サンゴ類の《タイプ標本》の集大成のため、東独ベルリンの「フンボルト大学博物館」に滞在中、偶然、明治時代に日本から流出した幻のオキナエビスガイ個を発見、その間の経緯についても明らかになった(1984)

        

与那国島近海水深360mから釣り上げた《珍魚》が持ち込まれ、調べた結果、過去に採集例は5回しかないというエソダマシであることが判明した。この仲間は世界中に8種、わが国には2種しか知られていない珍しい魚で八重山では初めて、沖縄本島近海で3匹、神奈川と高知で1匹づつの記録があるが、現在、国内に残っているのは琉球大学で保存中の標本のみ(1984)

 

1982年、宮古諸島多良間島の深海から釣り上げられた「キホウボウ科」の珍魚は、東京大学総合資料館と高知大学にも類似標本は保存されていたが、いずれも未知の種とされ、この分野の権威、高知大学教授岡村収博士との連絡で《新種》と断定した。和名をオキキホウボウと命名。学名は岡村博士らによってサティリクチス・カワエと発表された(1984)

               “もしやシーラカンス?”と騒がれた珍魚「オキキホウボウ 

 

石垣島西部屋良部崎沖合、水深140mの海底から釣り上げた《珍魚》の鑑定を依頼された。調査の結果、ハワイ諸島産のアリオンマ・エバーマンニーという「オオメダイ科」の魚で、和名はナガメダイ、外洋の深海(300~500m)に棲息する《深海魚》の一種であることが判明。過去採集例は少なく、ハワイ周辺海域で十数尾、1974年に沖縄本島近くで幼魚が1尾採れたに過ぎず、今回の発見は、学術上極めて貴重な発見である(1984)

石垣市委託の「石垣島周辺海域サンゴ礁学術調査」で、「造礁サンゴ類」の《珍種》が続々と発見され、石垣島は世界一のサンゴの宝庫という《白井説》が立証された。世界で未記録の新種21種、日本で初めて棲息が確認された日本新記録種が57種、白井・江口によりそれまでに記録された新種/新記録種165種、および、それ以前から分布が確認されている在来種61種の、計304種が、地図の上では《点》に過ぎない石垣島周辺海域から発見された。この調査で判明した日本新加入属は、Gardineroserisガーデナーサンゴ属) 「Pseudosiderastreaニセヤスリサンゴ属)」「Diaserisアクロバットサンゴ属)」「Herpetoglossaトゲクサビライシモドキ属)」「Zoopilusアミガササンゴ属)」「Australomussaオーストラリアハナガタサンゴ属)」「Scolymiaアザミハナガタサンゴ属)」の7属で、77属に属する造礁サンゴ類が記録された。因みに、日本全国では83属となり、オーストラリアの86属、フィリピンの84属と比較すれば、いかにわが国がサンゴ類の宝庫であるかが分る。これはひとえに石垣島の77属によっていることは改めて言うまでもない。石垣島の2000倍もあるグレートバリアーリーフの86属356種、7000余の島々からなる広大なフィリピンの84属363種と、《点》に過ぎぬ石垣島の77属304種を比較すればこのことは頷ける(1985)

八重山海域で発見された巨大なオオジャコガイ年代測定結果が出た。米国で「放射性炭素法」による分析の結果、4350~4310年前に生きていたものと判明。これにより、当時の海水温は現在より4,5度も高かったと推論、今後《地球温暖化》が進めば再び世界最大の二枚貝「オオジャコガイ」が琉球列島に豊産することになると新説を発表、「オオジャコガイ」の存在は地球温暖化現象の《指標》になると示唆する(1985)

徳之島で初めて発見された、造礁サンゴ類の《異常斃死》の原因究明に乗り出す。結果、なんらかの原因でバクテリアが異常発生し褐虫藻鞭毛虫)」が急増、それにより《寄主》のカイメンの一種が異常に繁殖成長し、造礁サンゴ類の表面を覆い、サンゴの《ポリプ(サンゴ虫)》を窒息死させたものと推論した。通常、サンゴ虫は触手に毒性の《刺胞》をそなえているので、カイメンは付着出来ない。バクテリアが、サンゴの毒性を阻害する働きをするのではとも考えるが、解明には至っていない。因みに、このカイメンは、カイメン分類の世界的権威、「アムステルダム大学動物分類研究所」のバン=スースト博士の鑑定で、1967年、ハワイで初めて見つかったのみという、珍しい「コルクカイメン科」テルピオス・グラヌローサと判明。和名は白井所長によりクロカワカイメンと命名。この後、同様の被害は沖縄の島々からも続々と報告され、造礁サンゴ類の繁栄をおびやかす新たな要因として、関係方面の注目を浴びた(1985)

石垣島の屋良部半島西側の海底から発見された大型獣の骨の解明を依頼された。三重短期大学教授角田保博士の鑑定で、100万年前まで琉球列島に棲息していたリュウキュウジカ下顎骨であることが判明(1985)

石垣島の御神崎沖、水深200mの海底から釣り上げられた大型のカニは、フィリピン以南、インドネシアの熱帯海域に分布する「ヒシガニ科」に属するダルドルフィア・スピノシシマで、1862年、インド洋のレ=ユニオン島で初めて発見された。日本では、和歌山県で《甲幅》11cmの雄が初めて見つかりハリカルイシガニと命名された。今回のものは《甲幅》19cmもある大型個体で、わが国では2匹目という珍しいカニであった(1986)

   

石垣島北部米原の海岸で、《ギネス級》の巨大なオオジャコガイの死殻を発見した。殻長102cm、重さ322㎏で、およそ4300年前に生存していたものであるが、殻はかなり摩滅・侵食されているので、生存時はおそらく『ギネスブック』に記録されているものを上回る個体であったと想像される(1992)

宮古諸島の多良間島で採集された、巻貝の鑑定を依頼された。フィリピン中部の、水深100m以深の海底に棲息する「ナガニシ類」の最大種で、和名はダイオウナガニシ日本初の発見となる。フィリピンでも年に数個体しか採集されない《珍貝》で、最大個体は殻長33.4㎝。多良間島の個体は殻長32.5㎝で、世界記録に近い巨大貝であることが判明した(1993)

台湾で貝貨調査時「中国科学院動物学研究所」で、石垣島産と類似のオオジャコガイの殻を確認。台北市内の工事現場から発見されたもので、石垣島産とルーツは同じと判断した。一方、台湾原住民(高砂族)の「パイワン族」が贈答や賠償・貨幣の代用として《貝ビーズ》を使用するが、その実体は不明であった。「国立台湾大学」で実物調査の結果やはり4300年前に死滅したオオジャコガイの殻を利用したのではないかと推論した(1996)

「中国雲南省博物館」で貝貨の実体調査。戦国時代末期から前漢時代早期までの王国」の墓から出土する貝貨は、大部分ハナビラダカラガイで、木製の《貯貝器》に収められていた。貝はインドあるいはボルネオからと言われるが不明。一方「殷王国」で使用された貝貨「キイロダカラガイ」が多く、雲南とは貝のルーツは異なる。雲南での「キイロダカラガイ」使用は、738年の「南詔王国」以降清代初期までで、使用量は少ない。貝のルーツは同じく不明という(1998)

モルディブ諸島の首都マレで、倉庫に集積されたタカラガイを発見。調査の結果、モルディブ諸島海域では「キイロダカラガイ」が多く「ハナビラダカラガイ」は少ないことが判明。この理由から、貝貨原料としてキイロダカラガイしか輸出されず、雲南で使用された貝貨の原料「ハナビラダカラガイ」は、モルディブ/インドルート以外の国から将来されたことが判明した(推定、フィリピン⇒ベトナム⇒雲南1998)

     マレの倉庫で発見した宝貝を調査中  モルディブ産「キイロダカラガイ

 

 

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